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2026.4.26「いのちへ導く声」YouTube

ヨハネによる福音書10章1~10節(新P.186)

1 「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。

2 門から入る者が羊飼いである。

3 門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。

4 自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。

5 しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」

6 イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。

7 イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。

8 わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。

9 わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。

10 盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。


1.羊の囲いと盗人、強盗

①休みを取れない厳しい仕事

 以前にもお話したことがあると思いますが、もう20年以上も前のお話です。福島で開催された東部中会主催の信徒修養会に参加したことがありました。そのときに久しぶりに私の出身教会から参加されていた一人の御婦人に再会することができました。その方は当時、小学生になる二人のお孫さんをその修養会に連れて来られていました。私がその理由を尋ねると、その子たちのお母さん、つまりその御婦人の娘さんは茨城県で畜産業を営む農家に結婚して入られたと言います。牧畜業は牛や豚など、生きた動物を飼って生計を立てています。そのためそこで働いているその子たちの両親は毎日農場から離れることができないのだそうです。普通のサラリーマンの家であればたまの休みの日に一家で出かけるということもあると思います。しかし、その子たちの家ではそれができません。「そのため祖母である自分がその二人の孫を預かってここまで連れた」と言うのです。私はその話を聞いて、畜産業というのは本当に大変な仕事なのだな…と思わされました。

 今日はイエスの語られた羊と羊飼いに関するたとえ話について皆さんと一緒に学びます。羊を飼うなどという仕事からは全く無関係の私たちです。その私たちがなぜ、このような話を聖書から学ばなければならないのでしょうか。それはここで語られているお話が復活されて今も私たちと共に生きてくださっている主イエスと私たちとの関係を表しているからだと言えます。


②羊の囲い

 ところで、今お話したように畜産業を営む人たちの仕事は今でも大変なものであると言えます。聖書が書かれた時代の羊飼いの仕事はさらに現在よりも過酷なものであったと考えることができます。なぜなら、当時の羊飼いは現在のように決められた農場で羊の世話をして過ごすというものではなかったからです。聖書の時代の羊飼いたちは羊たちが食べる餌を求めて一年中、旅をする遊牧生活を送る必要があったからです。

 今日の聖書の箇所には「羊の囲い」と言う言葉が登場します。これは遊牧生活を送る羊飼いたちが夜に自分の羊たちを守るために作った囲いのことを表しています。実は当時のイスラエルではこのような「羊の囲い」が羊飼いと羊たちが行く場所ごとに作られていました。そのような意味で、この囲いは誰か特定の個人の持ち物ではなく、羊飼いたちが共同で使う場所であったと言えます。ですから同じ羊の囲いの中に飼い主が違う羊が、一緒に入れられると言うことがよくあったのです。なぜこんな説明をここであえて皆さんにするかと言いますと、これを知らないとこのイエスのお話の内容がよくわからなくなってしまうからです。なぜなら、もし羊の囲いの中にいる羊が一人の主人の持ち物であるなら、主人はその羊の名前など呼んで連れ出すことも、羊も主人の声を聞き分けてその声に付いていく必要もないからです。ですから、このお話は一つの羊の囲いの中に別々の羊飼いがそれぞれ飼っている羊が同時に存在すると言う状況で成り立つ話なのです。


➂盗人や強盗

 しかしこの様々な羊飼いたちが共同で利用する「羊の囲い」には、羊飼いだけではなく、他に別の人々が入って来ることもあるとイエスはここで語っています。それは門番がいる門を通らないで、無断でそこに入ってくる「盗人や、強盗たち」です。それでは彼らは何のために「羊の囲い」の中に入って来るのでしょうか。イエスは次のように解説しています。

「盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。」(10節)

 簡単に言えば彼らは自分の利益のために羊の囲いの中に入り込み、その中にいる羊たちの命を奪おうとするのです。ただ、ここで誤解してはならないのは、彼らの存在や、彼らが語る言葉が、誰でも怪しむようなものであるならば問題はありません。その区別がはっきりしていればどの羊も彼らの声に惑わされることはないからです。

 もし「オレオレ詐欺」と呼ばれる電話が自分の家にかかって来たとしても、その声が不審で、怪しい声ならば皆さんもすぐに受話器を置いて、電話を切るはずです。しかし、今でも多くの人がこの詐欺にひっかかるのは、その電話が自分の身内の人間や警察、あるいは弁護士などという信用できるような人の声を装ってかかってくるからではないでしょうか。

 ここで登場する盗人や強盗もそのような声に装って羊たちに近づいて来るのです。彼らは聞けば、羊たちが騙されてしまうような、心地よい言葉を使ってささやきかけるのかも知れません。それでもだめなら脅迫めいた言葉を使って羊たちを支配しようとするかもしれません。このような声は詐欺電話に限らず、私たちも日常の生活の中でよく聞いているかも知れません。その声は私たちに関心を持たせて、私たちを別の方向に導こうとするするのです。しかし、イエスは彼らの声に従ってはならないとここで語っておられます。なぜなら、その声に従った者の末路は必ず「滅び」に至るからです。


2.羊飼いと羊

①羊は弱い

 「オレオレ詐欺」の話のことで私たちがよく聞くところによれば、このような詐欺にかかりやすい人は「自分は大丈夫」と自分の力を過信している傾向があると言われています。そのよう人は他人には騙されるはずがないとすっかり思い込んでいるのです。つまり、このように自分の能力や力に自信を持っている人が一番危ないと言うのです。

 聖書はここで私たちのことを「羊」と言う動物を使って表現しています。それは羊がお店で売っているぬいぐるみのような愛らしい存在であるからではありません。羊は自分の身を自分で守る術を持たない弱い動物だからです。そして聖書は私たち人間をこの羊と同じように弱い存在であると強調して教えているのです。この点で、私たちは大きな誤解をして生きているのかも知れません。なぜなら私たちは、自分は誰よりも分別力を持っている、自分で生き抜く力を十分に持っていると思い込んでいるところがあるからです。そしてこのように思う人は自分を守ってくれる羊飼いの存在を必要とはしません。自分の人生はこの羊飼いに例えられている神とは無関係だと思い込んでしますのです。しかし、イエスの言葉に従えばこのような人こそ、真っ先に盗み人や強盗の餌食となってしまう者たちだと言えるのです。


②自分の弱さを知っている

 このように羊は自分の力で自分を守ることができない動物です。そのままではいとも簡単に盗人や強盗の餌食となったしまう存在です。しかし、羊はただ一つだけ自分を守ることができる術を知っています。それは自分の名前を呼ぶ飼い主、その羊飼いの声を聞き分ける能力を持っていると言うことです。イエスは次のように語っています。

「門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」(4~5節)。

 この言葉に従うならば、私たちが既に神からどんなにすばらしい恵みを受けているかが分かります。なぜなら、私たちは第一に自分の無力さをすでに知らされているからです。私たちは自分の人生で様々な挫折や失敗を繰り返し経験して来ました。「自分はダメな人間だ」。何度もそのような思いを味わって来たかも知れません。しかし、だからこそ私たちは自分を助けてくれる存在を求めることができるようにされたのではないでしょうか。そしてこのようにして私たちが自分の無力さを知ることができたのは神からの恵みであると言えるのです。


➂私たちの名前を呼ぶ声

 さらに第二に私たちが神から受けた恵みは「自分の名前を呼んでいる」私たちの真の羊飼いであるイエスの声を聞き分けることができたと言うことです。私たちは様々な理由で教会に導かれ、またイエス・キリストの福音を知るようにされたと言えます。しかし、私たちがイエスを救い主として受け入れることができるようなきっかけは、皆聖書の言葉を通して自分を招いてくださる神の声を聞くことができたからではないでしょうか。「ここに書かれていることは私のことだ…」。「イエスが確かに私の名を呼んで招いてくださっている」と言うような信仰の経験を私たちはどこかでしているのです。

 聖書の教えによれば。これもまたイエスが私たちの元に遣わしてくださった聖霊の働きであると言えるのです。それは私たちが元から持っている自分の力によるものではありません。聖霊が私たちにイエスの声を聞き分けることができるようにしてくださるのです。それではなぜ、聖霊はそのようにして私たちに働いてくださるのでしょうか。それは私たちが元から主イエスの羊であったからです。

 私たちは信じたときに私たちが主イエスの羊とされたのではありません。私たちの人生のどこかでイエスの羊に変えられたのでもないのです。そうではなく私たちが生まれる前から、私たちは主イエスの羊とされていたのです。主イエスは別の箇所で迷子になった一匹の羊を必死に捜した羊飼いのお話を語っています(ルカ15章1~7節)。このイエスのお話から考えるならば、私たちがイエスの声を聞き分けて、そのイエスを信じることができたのは、イエスがまず私たちを見つけ出してくださったからだと言うことになります。


3.羊の門であるイエス

①羊飼いは羊の名前を呼ぶ

 ところでイエスはここで「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す」と語っています。つまり羊飼いは自分が飼っている羊一匹、一匹にそれぞれに違う名前を付けて、その名を呼んでくださると言うのです。私の実家では私が子どものころから何匹かの猫を飼い続けて来ました。そのすべては雑種の猫でしたが、我が家では代々飼われた猫には必ず「ミーちゃん」という名前を付けて、その名前で呼んで来ました。三毛猫でもないのにどの猫も「ミーちゃん」になってしまうのです。

 羊飼いが羊の名前を呼ぶと言うのは、羊飼いが勝手に自分の羊に無意味な名前を付けていると言う意味ではありません。羊飼いは一匹一匹の羊のことをよく知っています。その羊の性格を知っていますから、その羊をどのように世話をすべきなのかもよく分かっているのです。聖書がここで言っている「名前を呼ぶ」、あるいはその羊に羊飼いが名前を付けるということは、イエスが私たち一人一人をよく知ってくださっていること、ある意味で私たち以上に私たちのことをよく知ってくださることを表しています。だからイエスはいつでも私たちをふさわしい方法で導くことができるのです。

 しかし、先ほど説明した盗人や強盗にはそれができません。彼らにとってはどの羊も単なる多くの羊の中の一匹の羊でしかないからです。先日もコンピューターのAIに自分の悩みを相談する人が多くなったと言う話題を取り上げました。おそらくAIはたくさんの人間のデーターを持っていて、その巨大なデーターの中からその人の質問にふさわしい答えを導き出すのだと言えます。つまり、その人自身をよく知っていて、その人にふさわしい答えを出すというものではないのです。もちろん、AIのデーターは私たちの生活に役立つものかも知れません。しかし、今日の聖書のお話から考えれば、AIは私たちの羊飼いとは言えないのです。また私たちはAIに自分の人生を導いてもらうこともできないのです。


②私たちの唯一の救い主イエス

 そこで大切になってくるのはイエスがここでも「わたしは羊の門」(7節)と言うように、私たちの人生を導き、また私たちを永遠の命へと導く方はこのイエスお一人しかおられないと言ってくださっていることです。この「羊の門」とは誰もがイエスによらなければ罪の赦しを受けて、神と和解し、その神と共に生きることができる神の国の住民になることはできないことを表しています。しかし、この羊の門を通るならば私たちは真の救いを受けて、私たちを豊かに潤すことのできる「青草の原」、「憩の水のほとり」(詩編23編)に導かれるのです。

 このように今日の物語は、私たちをよく知っていて、私たちの人生を導くことができるお方は私たちの主イエスお一人であると言うことを教えています。そして復活されたイエスは今も生きて私たちのために働いてくださる方なのです。この私たちにイエスが聖霊を遣わすことで、イエスが私たち一人一人の名前を呼んでくださっていることを悟らせてくださるのです。ですから、私たちは私たちの真の羊飼いであるイエスに信頼して、その方の導きに喜んで従う信仰生活をこれからも続けて行きたいのです。


…………… 祈り ……………

 私たちの主イエス・キリストを復活させてくださった主なる神よ。

 私たちはしばしば、あなたが共におられるのに気づかず、失望や不安の中を歩んでしまいます。どうか私たちの心の目を開いてください。御言葉によって心を燃やし、あなたの臨在に気づくことができるようにしてください。

 悲しみの中にあるときも、あなたがそばにいて導いておられることを信じさせてください。そして、あなたに出会った喜びを、他の人にも分かち合う者としてください

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

聖書研究のための設問

1.羊が羊飼いの声を知っているとは、どういうことですか。なぜ羊は自分の羊飼い以外の他人について行かないのでしょうか?

2.現代における「盗人・強盗」とは何だと思いますか?

3.「豊かな命」とは具体的にどのような人生でしょうか?

4.あなたは今、誰の声に最も影響を受けていますか?

5.わたしたちがイエスの声を聞くために、どのような信仰生活の習慣が必要でしょうか?

2026.4.26「いのちへ導く声」