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2026.3.1「山上の栄光とゲッセマネの十字架」

マタイによる福音書17章1~9節(新P.32)

1 六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。

2 イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。

3 見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。

4 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」

5 ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。

6 弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。

7 イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」

8 彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。

9 一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。


1.ペトロの失敗

 今朝はイエス・キリストの受難の出来事を思い起こす受難節第二週目の礼拝をささげます。この期間に私たちの信仰生活で求められているものは「悔い改め」であると言うことを私たちは先週の礼拝で学びました。今日の聖書の箇所ではこの悔い改めのために最も大切な「神の言葉を聞くこと」、また「主イエスに従うこと」について学びたいと思います。

 今日の聖書の箇所では弟子たちの見ている前でイエスの姿が栄光に輝いたと言うお話が記されています。まず、私たちが今日のこのお話を正しく理解するためには、この直前にイエスと弟子たちとの間で起こった出来事を思い出す必要があると言えます。

 この物語の直前のマタイによる福音書16章では弟子の一人であるペトロがイエスに信仰を告白するというお話が紹介されています。ペトロはここでイエスに対して「あなたはメシア、生ける神の子です」(16節)という立派な信仰の告白をしています。そしてイエスもこのペトロの信仰告白について「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」(17~18節)とお褒めの言葉を語られているのです。

 しかし、このすぐ後、今度はイエスが御自分について「エルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され(る)」(21節)と弟子たちに語られると、ペトロは「そんなことがあってはなりません」とイエスを諫めたと記されています(22節)。すると今度はこの言葉を語ったペトロに対して「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている」(23節)とイエスが逆にペトロを諫められているのです。ペトロはここでわずかな間にイエスから褒められたり、叱られたりと大変な経験をしてしまっていることが分かります。

 おそらくこれはペトロがイエスの受難の出来事の意味をよく知らなかったことに原因があると考えることできます。ペトロはこのイエスの話を聞いて「先生が殺されてしまうなど、大変な失策だ。何とかそれを自分が食い止めなければならない」と考えたのかも知れません。しかし、この考えのためにペトロはイエスから「サタンよ、引き下がれ」とまで言われてしまったのです。

 ここで少し余計なことかも知れません、皆さんがこのイエスの言葉を読むときに注意してほしいのは、このときイエスがこの厳しい言葉は「サタン」に向かって語られているのであって、ペトロに向かって語られたのではなかったと言うことです。イエスはこのときペトロの心を操り、神の計画を阻もうと企てるサタンに対して「引き下がれ」と命じているのです。そう考えるとこのイエスの言葉はペトロをサタンの支配から解放するために語られたものだと考えることできます。ですからこの言葉を読んで、「私も自分のことを優先して考えてしまから、ペトロと同じように「サタンよ、引き下がれ」とイエスから叱られてしまうのではないか…」と心配する必要はないのです。その証拠にイエスは決してここで失敗を犯したペトロを見捨ててはいません。むしろこのペトロを山の上にまで連れて行き、今日の物語の出来事を経験させて下さったのです。

 ですからこの山上の出来事はイエスの受難が失策ではなく、神の計画に基づくものであることを表し、その受難の出来事を通して神の栄光が照り輝くことをペトロに教えるためのものであったといことを知ることができるのです。


2.イエスの変化とペトロの反応

①明らかにされたイエスの受難の意味

 今日の聖書の部分ではまず「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」(2節)と報告されています。同じマタイによる福音書はイエスが十字架にかかられて死んだ後に、その遺体が葬られた墓に行った女性たちの前に主の天使が現れた光景を報告しています。主の天使たちの「その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった」(28章3節)と言うのです。このような説明からこのときに栄光に輝いたイエスの姿は単なる弟子たちを驚かすためのものではなく、やがてイエスの受難を通して実現する復活の出来事によって表される神の栄光を示していると考えることができるのです。

 この後、福音書は次の場面として旧約聖書に登場するモーセとエリアが現れてイエスと語り合う姿を描写しています。ここに登場するモーセは神から大切な律法を受け取る使命を担った人物です。またもう一人のエリアは民がその律法に従って生きるようにと命じる神からのメッセージを取り次いで人々に語った有名な預言者の一人です。ルカによる福音書はこのときの二人とイエスとの会話について「二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた」(9章31節)と報告しています。このことから、これから起こるイエスの受難の出来事は旧約聖書に示された神の計画の成就であることが表されてと考えることができるのです。

 ペトロはこの直前にイエスから受難の予告を聞かされたとき「このままではいけない」と心配しました。しかしその出来事は実は旧約聖書を通して明らかにされてきた神の計画に基づくものであり、神の栄光があらわされるためのものであることをこの山上の出来事はペトロに教えるために起こったと言うことができるのです。


②仮小屋を建てましょう

 しかし、この出来事をイエスから見せていただいたペトロたちは、ここでもやはりイエスの受難の意味を十分には理解していなかったことが次のペトロの言葉から分かって来ます。

「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう」(4節)。

 ルカによる福音書はこのときのペトロの発言について「自分でも何を言っているのか、分からなかったのである」(9章33節)とわざわざ説明しています。何をしてよいのか分からい、人はそのようなときにこそ普段考えている本音が現れるものだと言います。ある説教者は「仮小屋を建てる」と言うペトロの言葉を「記念碑を建てるということと同じ意味だ」と説明しています。この出来事のすばらしさを後世まで残そうとペトロは記念碑の製作を提案したと言うのです。しかし、イエスがこの出来事をわざわざペトロに見せてくださったのは、この出来事を記念するためにではありません。これから起こるイエスの受難の出来事にペトロたちが目を向け、その出来事がどんなに素晴らしい出来事なのかを教えるためにあったのです。その証拠にこのように語ったペトロはさらに次のような体験したと言うのです。

「ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた」(5節)。

 ここに登場している「光り輝く雲」と言う表現はそこに神がおられると言うことを示す象徴であると考えることができます。ですからこの時に雲の中から聞こえてきた声は神の声であると言うことを表しています。さらに「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う神の言葉はイエスが洗礼者ヨハネの元で洗礼を受けた時に聞こえてきた声と同じものでした(マタイ3章17節)。その上で大切なのはこの言葉に続けて語られた「これに聞け」と言う神の言葉です。ペトロはイエスの言葉を聞いても、またイエスの示された出来事を見ても、それを自分勝手に考えて判断してしまっています。しかし、ペトロに神が求められたことは「神の言葉に聞く」ことでした。また、この「聞け」と言う言葉は単に耳でその声を聞くと言うだけではなく、「聞き従う」と言う意味を持っています。イエスの弟子であるペトロの使命は、イエスを自分の思いのままに操ることでは決してありません。イエスに聞き従うのが弟子のペトロに与えられている大切な使命であることをこの言葉は私たちに教えているのです。

「弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない」(6~7節)。

 私たちは自分の人生が神の素晴らしい計画によって導かれていることを信じています。しかし、私たちはそれでも自分の人生で起こる出来事の意味をまだ十分には理解できていません。そのため私たちは恐れに捕らえられます。また何度も倒れて立ち上がれなくなることもあります。しかし、私たちのイエスはそのたびに私たちに近づいて、私たちに手を触れて「起きなさい、恐れることはない」と語ってくださる方だと言えるのです。


3.イエスの言葉に従ったペトロ

①真の悔い改めとイエスの勝利

 この後、ペトロたちはイエスに導かれて山の下に降りて行き、弟子としてイエスと共に様々なことを体験して行きます。そして、イエスが逮捕されたときにペトロは「イエスを知らない」と三度も否む大失敗を起こしてしまうのです。

「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている」。

 それにも関わらずイエスは決してペトロを見捨てることはありませんでした。むしろ、イエスはペトロを支配しようとするサタンの力と戦い続け、十字架上で完全な勝利を勝ち取ってくださったのです。私たちがこの受難節で行う悔い改めは自分の犯した失敗に目を向けて落ち込んだり、不安になることではありません。なぜならイエスが十字架の出来事を通して私たちのために勝ち取ってくださった勝利を思い越し、そのイエスの言葉に再び従うことを決心することが真の悔い改めの意味であると言えるからです。


②再びイエスの言葉に従う決心をする

 このペトロの生涯について教会ではある伝説が残されています。晩年のペトロはイエスの福音をローマの都の人々に伝えるために働くことになりました。ところが、彼が福音を人々に伝えれば伝えるほど、その福音を信じた人々がローマ帝国の迫害のために命を落とすと言うことが起こります。そしてこのような悲劇を日々目撃することになったペトロは自分が福音を伝えることが本当に正しいのかと言うことに迷い始めるのです。そして結局、ローマでの伝道を止めて、その町か立ち去ろうと彼は決心します。

 ところがローマの町に背を向けて旅に出発しようとしたペトロの前に、そのペトロとは逆にローマの町に向かおうと歩いて来る一人の人物がいます。ペトロはその姿を見て一目で「主だ」と分かります。そしてペトロはその主の姿に驚ながら「主よ、どこに行かれるのですか」と尋ねたと言うのです。するとそこでイエスは「お前が今、見捨てようとしているローマの人々のために、私はもう一度十字架にかかろうとしてやって来たのだ」と語ったと言うのです。ペトロはそのイエスの言葉を聞いてすぐに自分の過ちを悟ります。そして道を引き返してローマの都に戻り、再び人々に福音を伝え、最後には彼自身もローマの迫害によって殉教の死を遂げたと言われているのです。

 この伝説が本当の出来事であったのかどうかは定かではありません。しかし、この伝説に登場するペトロは聖書に描かれている彼の姿とどこか似ているところがあります。自分の勝手な考えで、物事を判断して失敗してしまうペトロ、しかしイエスは決してそのペトロを見捨てることはありません。すぐにそのペトロの前に現れて、彼に手を差し伸べてくださるのです。そしてペトロはそのイエスの言葉に再び従って生きようと決心するのです。

「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」

 「仮小屋を建てたい」と言うペトロの願いは実現されることがありませんでした。しかし、このときに聞いた神の言葉はこの後にペトロの心の中にしっかりと刻み付けれて行きます。そして言葉に促されるようにペトロはその生涯を通して主イエスの言葉に耳を傾け、主イエスに従って生き続ける者とされたのです。

 今、受難節を送る私たちも「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」と言う神の言葉を私たちの心に刻む付けたいと思います。そして、ペトロと同じように、自分の犯した失敗に気づかされるたびに、再び主イエスの言葉に従おうとする決心をして、続けて信仰生活を送って行きたいと願うのです。


…………… 祈り ……………

 栄光の主イエス・キリストよ。

 あなたは輝く御姿を弟子たちに示しながら、自ら十字架の道を選ばれました。私たちは自分の考えを先行させ、苦しみを避けようとする者です。どうかあなたの声を聞かせてください。山上の栄光を心に刻み、私たちの毎日の生活を信仰をもって歩ませてください。

 イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

聖書研究用の質問

1.イエスは誰を連れて山に登られましたか。この直前に起こった16章の出来事から考えるとイエスが彼らを山に連れて行った理由は何であったことがわかりますか。

2.イエスの姿はそこでどのように変化しましたか。この変化は何を意味していましたか。

3.そこに現れた二人の人はそれぞれ誰でしたか。彼らの出現はイエスの生涯にこれから起ころうとする受難の出来事とどのような関係があると思いますか。

4.この物語を体験したペトロが提案したことは何でしたか。この提案はペトロのどんな気持ちを表していましたか。

5.光り輝く雲が弟子たちを覆ったとき、彼らが聞いた声は誰のものでしたか。その声はどのようなことを語りましたか。

6.イエスはこの出来事を経験して恐れた弟子たちに「恐れることはない」と言ってくださいました。あなたは今、どのようなことで恐れに捕らわれています。そのあなたのために十字架で勝利してくださったイエスは、あなたにどのような励ましと慰めを与えてくださっていると思いますか。

2026.3.1「山上の栄光とゲッセマネの十字架」