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  4. 6月8日「聖霊が降る」

2025.6.8「聖霊が降る」YouTube

ヨハネよる福音書14章15~26節(新P.197)

15 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。

16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。

17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。

18 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。

19 しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。

20 かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。

21 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」

22 イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」と言った。

23 イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。

24 わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。

25 わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。

26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。


1.ペンテコステ

 今日は聖霊降臨日、別の名前ではペンテコステと呼ばれる出来事をお祝いする日の礼拝となります。このペンテコステの出来事については新約聖書の使徒言行録2章に詳しく記されています。この箇所ではこの日にイエスの弟子たちの上に起こった不思議な出来事が次のように紹介されています。

「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(2章1~4節)。

 五旬祭(これをギリシャ語で「ペンテコステ」と呼ぶ)は昔、イスラエルの民がエジプトから脱出してから50日後に神と契約を結び、そのしるしとして神の戒めである十戒を受けたことを記念するユダヤ人のお祭りです。イエスが十字架につけられて三日目に復活されたのが、ユダヤ人の過越祭の時期と重なりますから、五旬祭はその50日後と言うことになります。聖書によれば復活されたイエスは40日間この地上に留まったのちに天に昇られたと報告されています(使徒1章3節、9節参照)。このとき、天に昇られる直前のイエスは地上に残る弟子たちに次のような指示を送っています。

「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」(使徒1章4~5節)。

 また続けて次のような言葉も弟子たちに残しています。

「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(同1章8節)。

 このイエスの言葉から分かるように、このペンテコステと言う出来事は予想もしていたなかったときに、予想もしていなかった出来事が弟子たちの上に突然に起こったと言うことではありません。むしろイエスの言葉に従った弟子たちの上に、イエスが約束してくださったことがその通りに実現したのがこのペンテコステの出来事です。もちろん、このとき弟子たちがこのペンテコステの出来事をすべて予想出来ていたわけではないと思います。いずれにしても、このペンテコステを私たちがお祝いするのは、イエスの語られた約束がその通り弟子たちの上に実現したことを記念するとともに、今もその約束が私たちの上にも実現し続けていることを思い起こすためでもあると言えます。


2.聖霊は何をされるのか

①神の偉大な業を語る弟子たち

 さて、この日に弟子たちの上に降った聖霊はいったい何をしたのでしょうか。昔から語学が不得意で、神学校でも英語のテキストを読むことに誰よりも苦労した私は、このペンテコステを伝える聖書の物語を読むたびにこの時の弟子たちがとても羨ましく思えてなりませんでした。

「すると、一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」。

 弟子たちはこのとき今まで学んだことも聞いたこともないような外国の言葉を突然に話し始めたと言うのです。もちろん、ここで大切なのは弟子たちが様々な国の言葉をしゃべり出したと言うよりは、いったい彼らはその言葉を使って何を語ったのかと言うことです。このときエルサレムの町には神殿に巡礼しにやって来た、様々な国からの観光客が集まっていました。その中でこのときたまたま弟子たちの言葉を聞いた人々は次のように証言しています。

「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」(使徒2章12節)。

 弟子たちはこのとき思い思いに勝手な言葉を外国語で話したのではなく、「神の偉大な業」を口々に証ししたと言うのです。ですからこれは先ほどのイエスの「地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と言う言葉が弟子たちを通して実現したことを暗示するような奇跡であったと考えることができます。もちろん、この後に弟子たちはこの能力を使って何の苦労もなく福音を伝えることができたと言う訳ではありません。大切なことは、イエスの福音が世界に宣べ伝えられるために、この日、イエスを信じる弟子たちの上に聖霊が降臨されたと言うことです。そのような意味で、聖霊は福音を世界に伝える使命に生きようとする人々に与えられる霊であると言えます。また、この聖霊を受けた者は皆この、使命に生きるようにされるとも考えることができます。


②神から与えられた使命を実現させる聖霊

 聖霊の働きはこのペンテコステの出来事以前にも働いていたことが聖書の様々なところに記されています。たとえば旧約聖書の最初の創世記では「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」(1章2節)と神の霊である聖霊が天地万物を創造される神の御業を実現させるために働いていたことが記されています。また特に旧約聖書では王や預言者たちが神から与えられた大切な使命を実現するために、この聖霊が彼らに与えられたことが記されています (Ⅰサムエル16章13節、イザヤ61章1節参照)。また、新約聖書ではイエスがヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けたときに聖霊が降られたことが記されています(ルカ3章21~22節)。このイエスの洗礼の出来事はこれまで地上での生涯を送られてきたイエスが父なる神から与えられた救い主としての特別な使命をこの時から始められたことを表すものと言えます。このようなことから分かるように、聖霊は神の御業を地上に実現させるために働く者たちに与えられる霊であると言うことができます。

 それでは神の御業を実現させるためにかつてイエスの上に降された同じ聖霊が、このペンテコステの日に弟子たちの元にも降ったと言うことはいったい、何を意味しているのでしょうか。キリスト教会は世界の果てまで福音を伝えると言う使命を果たす方はイエス・キリストであると今でも信じています。しかし、今から二千年前にイエスがこの地上に生きた時間とその活動の範囲は極めて限られいました。そこでイエスはこのペンテコステの出来事の以後に福音を世界に伝えるという方法を変更されたのです。それはご自身の弟子たちに天から聖霊を送ることで、彼らを通して自らに与えられた世の救い主としての使命を全うすると言う方法です。このような意味でイエスの御業はこのペンテコステの出来事以降、現在に至るまで続けられていると言うことができます。なぜなら、イエスは今でもイエスを信じる者たちに聖霊を送り続けることで、その御業をこの地上に実現されせてくださっているからです。


3.聖霊は神

①イエスは私たちの弁護者

 さて、聖霊は先ほど語りましたようにどちらかと言うと、イエスの到来以前には神の使命を実現するために選ばれた者たちに与えられる神の力のように考えられる傾向がありました。しかし、この聖霊が自らの意志を持って働かれる神御自身であると言うこと、つまり父、子、聖霊の神と呼ばれる「三位一体の神」の、その聖霊なる神であると言うことがはっきりと分かるのは、イエスがこの聖霊について「別の弁護者」と語っておられるからであると言えます。

「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである」(ヨハネ14章16~17節)。

 ここではイエス・キリストを私たちのために救い主としてこの地上に遣わされた父なる神が、「別の弁護者」として聖霊を遣わしてくださると語られています。このイエスの語られた言葉から聖霊がイエスと同列におかれるようなお方、つまり神であると言うことが分かるのです。そして、それと同時に、イエス自身が救い主としてこの地上に遣わされた理由は私たちの「弁護者」としての働きを担うためであることも分かるのです(ヨハネ一2章1節)。

 この「弁護者」と言う言葉は私たちの「そばにいて助けてくださる方」と言う意味を持っています。この言葉の通り神の御子であったイエス・キリストはこの地上に来られて私たちと同じ人間となってくださりました。そして私たちの犯した罪の責任を代わって引き受けてくださり十字架で命をささげてくださったのです。ですから、私たちはこの第一の「弁護者」であるイエス・キリストによって罪を赦され、神の子として生きる権利を与えられているのです。


②イエスの言葉を思い起こさせる霊

 それではこのイエスとは違う別の弁護者である聖霊は私たちのために何をしてくださるのでしょうか。イエスはこの別の弁護者が真理の霊であり、私たちと共にいてくださり、私たちの内におられる方だとも語っています。そしてこの聖霊の働きについて特に次のようにも証しておられるのです。

「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」(26節)。

 聖霊は教える方であるとここで言われています。しかもこの聖霊が教えるものとは「わたしが話したこと」、つまりイエス・キリストが教えてくださった福音だと言うのです。そして聖霊はそれを私たちに「思い起こさせてくださる」ために働かれるのです。ですから、この聖霊が私たちに働くことで、イエス・キリストが今から二千年前に語られた言葉が私たちに今語られている言葉になると言えるのです。そしてかつて、イエスの言葉を聞いた人々が神の御業を豊かに体験し、その人生を全く変えられたように、私たちもこの聖霊の働きによって、イエスの言葉が真実であることを知るとともに、私たちの人生も変えられていくのです。

 よいセールスマンは自分が売る商品の良さを一番よく知っていると言います。ですから、自分が「よい」と納得できる商品以外はいくら良い条件を提示されてもお客に販売しないそうです。全世界に福音を伝える使命を与えられている私たちも、まず、私たち自身が聖霊を受けることで救い主イエス・キリストのすばらしさを知る必要があります。だから私たちはこの聖霊の働きによってイエスの福音を人々に伝えることができることを聖書はここで教えているのです。


4.霊に従って歩む者

 さて使徒パウロが記したローマの信徒への手紙の中では聖霊と共に生きる人とそうでない人の違いが「霊に従って歩む者」と「肉に従って歩む者」と言う言葉で表現されています。そして最後に「もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう」(8章11節)と言う祝福も語っています。

 ある聖書解説者はこの「肉に従って歩む者」と「霊に従って歩む者」の違いをイエスが語られた「ファリサイ派の人と徴税人の祈り」と言うたとえ話を使って説明しています(ルカ18章9~14節)。この時、神殿で祈りをささげた二人の内、ファリサイ派の人は自分が信仰者としてどんなに立派な行いができているのかを祈りの中で語り、その自分を誇りました。しかし、「自分の力で何でもできている」と語るこのファリサイ派の人は、そのような言葉を語ることで同時に「自分には神の助けなど必要がない」と言ってしまっていることが分かりません。もう一方の徴税人は「目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください』」(13節)と祈らざるを得ませんでした。

 イエスはこのたとえを説明して、神に義とされた人、つまり「霊に従って歩む」ことができた人はこの徴税人の方だったと教えています(14節)。私たちは「霊的な生活」と言う言葉から連想すると、何か自分の生活とはかけ離れた世界に生きる人と考えてしまう傾向があるかも知れません。何が起こっても平然として、慌てることのない生活のようなものしている人だと想像してしまうのです。しかし、聖書が教える「霊に従って歩む者」とはいつも自分の力の限界を知っている人のことであると言えます。いえ、自分の人生にイエスの働きがなければ、生きいくことさえできない人こそが、聖霊の助けを求めて生きることができる人だと言えます。

 イエスはそのように聖霊の働きが自分を通して実現することを待ち望んでいる人の上に、天から聖霊を今でも遣わしてくださいます。そして、昔と同じようにイエスの救いの御業のすばらしさを私たちの信仰生活を通しても表してくださり、私たちを「霊に従って歩む者」としてくださるのです。

聖書を読んで考えて見ましょう

1.あなたも使徒言行録2章1~13節の箇所を読んでみましょう。このときイエスが約束してくださった聖霊は弟子たちの上にどのような御業を行って下さいましたか。

2.聖書の中でイエスは世に残される弟子たちのために「別の弁護者」を父なる神にお願いして送ってくださると言われています。この「別の弁護者」についてイエスはどのような働きをされると教えていますか(ヨハネ14章16~17節、26節)。

3.パウロはローマの信徒への手紙の中で「肉に従って歩む者」と「霊に従って歩む者」の違いをどのように説明していますか。また「霊に従って歩む者」にはイエス・キリストによってどのような祝福が当たられると教えていますか(8章5~11節)。

4.イエスが語られた「ファリサイ派の人と徴税人の祈り」のたとえ話(ルカ18章9~14節)を読んでみましょう。自分の力を頼りとせず、弁護者である聖霊の助けを祈り求めたのはどちらの人物でしたか。

2025.6.8「聖霊が降る」