2025.6.29「ケファと名付けられたシモン」 YouTube
マタイによる福音書16章13~19節(新P.31)
13 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
14 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
15 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
16 シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
17 すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
18 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
19 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」
1.人の子のことを何者だと言っているか
①ペトロの信仰告白
「告白」と言う言葉を聞かれたとき、皆さんはどんなことを連想されるでしょうか。もちろん、皆さんの多くは教会で大切にされているウエストミンスター信仰告白やキリスト教の古典と言われるアウグスチヌスという人が記した「告白」と言う書物を連想されるかも知れません。しかし、このような連想が浮かぶのは世間では極めて限られた人で、たぶん多くの人は全く違ったことを考えるかも知れません。
「愛を告白する」、「あるいは罪を告白」すると言った言葉を聞くことがあります。今まで心の奥に密かに隠していたものを誰かに伝えるというとき「告白」と言う言葉が使われます。そのような意味で告白とはその本人が心の扉を開いて、秘めていた思いを相手に伝えると言うことを表すのかも知れません。今日の箇所ではイエスの弟子の一人のペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と自分の信仰を告白した出来事が取り上げられています。そしてこのペトロの信仰告白は私たちが良く知っているウエストミンスター信仰告白やアウグスチヌスの「告白」の内容の元と呼べるものと言えます。それでは、このときペトロが語った信仰の告白にはどのような意味があり、またそれは私たちの信仰生活になぜ大切なものなのでしょうか。今日は皆さんとそのことについて少し学んでみたいと思います。
②フィリポ・カイサリア
この物語の舞台はフィリポ・カイザリア地方と紹介されています。聖書の巻末にある新約時代のパレスチナの地図を見ると、その北のはずれにフィリポ・カイザリアという町が記されていることが分かります。この町の名前はローマ皇帝と関係しています。クリスマスの物語で有名なヘロデというユダヤの王様がいましたが、そのヘロデはこの町にローマ皇帝を祭る神殿を建てたと伝えられています。そして、これもイエスの物語に登場する人物ですが、そのヘロデの息子のフィリポというガリラヤの領主がこの町の名前を「カイザル」と言うローマ皇帝の名前にわざわざ変更しています。つまり、この町はヘロデ一家がその親子に渡ってローマの皇帝に忠誠を尽くす証として建てられた町と呼ぶことができる場所なのです。ヘロデもその息子のフィリポもユダヤの権力者として君臨できたのは、その後ろ盾としてのローマ皇帝の力があったからです。この町の名前はそのようなヘロデ家の立場をよく表すものだったと言えます。
さてこの町にやって来たイエスは一緒にいた弟子たちは「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」と尋ねています。ヨハネの黙示録などを読むと、ローマ皇帝のような神に敵対するこの世の権力者が「獣の子」と言う名前で呼ばれています。それに対して、神から遣わされる方を「人の子」と言う名前で呼んでいるのです。ですから聖書がイエスを「人の子」と呼ぶ場合にはこの世の偽りの権力者ではなく、天地を治める真の支配者である方こそこのイエスであると言う信仰が込められています。そしてイエスはここで改めて「人の子」である自分を「人々は何者だと言っているのか」と弟子たちに質問したのです。ですから「獣の子」であるローマ皇帝を象徴する町でイエスはあえてこのような質問を弟子たちにしたと言うことになります。
弟子たちの報告によれば人々はイエスのことを「洗礼者ヨハネ」、「エリア」、「エレミヤ」、「預言者の一人」と呼んでいたと言われています。ここに登場する人物たちは聖書の中でとても重要は働きをした人々として紹介されています。しかし、最後の「預言者の一人」と言う言葉でもわかるように、人々はイエスを神の言葉を伝える預言者の一人としか考えていません。決してイエスを神から遣わされたメシア、「救い主」とまでは考えていなかったことが分かるのです。
2.あなたはメシア、生ける神の子
①ペトロへの問い
さてイエスはこのような弟子たちの報告を聞いた後に、その弟子たちに向って「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と尋ねています。イエスはこのとき、弟子達に自分たちの心の中に秘めているイエスに対する思いを明らかにするようにと迫られたのです。なぜなら、弟子たちは他の人々とは違い、これまでイエスと共に歩み、その姿を身近で知る特権を与えられていた人たちだったからです。そしてこのイエスの質問に対して、ここではその弟子たちを代表してシモン・ペトロが次のように答えます。
「あなたはメシア、生ける神の子です」
「メシア」とはヘブライ語で救い主を意味する言葉です。そしてこの言葉をギリシャ語にすると「キリスト」になります。また「生ける神」とは偶像のような何もできない「死んだ神」ではなく、聖書が伝える全知全能の真の神は「生ける神」であるという意味が込められています。ペトロはこのときイエスをその真の神の子であり、自分たちのために来られた救い主であると告白しているのです。そしてこのペトロの告白が正しいものであることをイエスは次のような言葉で表明してくださっています。
「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」。
この言葉はペトロの告白が人間の内から出る思想や見解を表すものでなく、神から与えられたものであることを教えています。つまり、ペトロがこのような信仰の告白をすることができたのは、ペトロに特別な才能があったと言う訳ではなく、神がこの答をペトロに与えてくださったからだと言うのです。そしてこのことはペトロだけに限られるものではなく私たちも同じあると言えます。なぜなら、教会で私たちが「イエスを救い主、真の神の子」と信じる告白ができるのは、私たちの上にもペトロと同じように神が働いてくださり、その答えを私たちが語ることができるようにしてくださったからです。
②育てられる信仰告白
ただ、このときのペトロの告白の内容はイエスが証明したように完璧なものであったとしても、彼自身がこの告白の内容を十分に理解していたかどうかはむしろ疑問が残ります。それはこの後の弟子たちの行動からもよく分かるはずです。なぜなら、彼らはイエスを「救い主、生ける神の子」と告白しながらも、結局はイエスが逮捕された際に、皆逃げ出してしまったからです。彼らは神から遣わされた救い主が十字架にかけられて死ぬなど言うことを考えることも、信じることもできなかったのです。ですからペトロたちが自分の語った信仰告白の内容を正しく理解することができたのは、この後にイエスが復活されて、そして聖霊降臨の出来事を経てのことであると考えることができます。
私たちも教会でイエスを信じて洗礼を受けるときに神の前に誓約をして、ペトロと同じように自分の信仰を告白します。もちろん、教会の牧師はその人に誓約文の内容を教えて、正しい信仰の告白ができるように導きます。しかし、だからと言ってその人が自分の告白した内容をどこまで正しく理解できているかは他人には分かりません。しかし、だからと言って私たちは心配する必要はないと言えます。なぜなら、私たちに信仰の告白をさせてくださったイエスは、私たちの信仰を導き、そして育ててくださる方でもあるからです。イエスの前から逃げ出してしまうと言う重大な失敗を犯したペトロをイエスは決して捨てることはありませんでした。むいろイエスは「ペトロ」「ペトロ」と呼んで彼を愛し続けてくださったのです。ですからイエスは教会で信仰を告白した私たちをも決して捨てることなく愛し続けてくださるのです。
3.天の国の鍵を授けられている教会
①信仰告白の上に建てられた教会
ところでイエスはなぜ私たちが心の奥で密かに信じると言うのではなく、その信仰を公に表す信仰告白するようにと求められるのでしょうか。イエスに対して「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白したシモン・ペトロにイエスは続けて次のような言葉を語っています。
「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」(18~19節)
実はこの言葉は私たちの教会を理解する上でとても大切なものと考えられて来ました。ただ、このイエスの言葉はその解釈を巡って宗教改革者たちと当時のカトリック教会の間で激しい論争を生み出すものともなったのです。
まず、当時のカトリック教会はこのイエスの言葉を次のように解釈して人々に教えました。イエスはシモン・ペトロの上に教会を建てると言ってくださった。つまり、教会は何時の時代もこのペトロとその正しい後継者の上に建てられるものだと言うのです。最近は映画で「教皇選挙」という作品がとても有名になりました。また実際のカトリック教会でも先のローマ教皇の死亡によって新しい教皇が選出されると言う出来事が起こりました。実はここで「教皇」と呼ばれる存在はカトリック教会では「ペトロの後継者」であるローマの司教を呼ぶ別名なのです。だから、カトリック教会はこのペトロの後継者たちの存在によってイエスが建てられた唯一の正しい教会だと主張したのです。そしてそのペトロの後継者の教会にイエスは「天国の鍵」を預けてくださったのだから、カトリック教会の信徒でなければ天国に入ることはできない…、そのように教えたのです。
宗教改革者たちは当時のカトリック教会が聖書の教えから離れ、様々な人間が作り出した教えを語っているとして批判しました。そして教会が聖書の教えに帰ることを主張し、そのために働きました。しかし、当時のカトリック教会は自分たちの過ちを認めることなく、逆に宗教改革者たちを教会から破門し、追放してしまったのです。ですからこのイエスの言葉をカトリック教会のように解釈すれば、宗教改革者たちやその教えに従うプロテスタント教会の信徒は天国に入ることができいと言うことになってしまいます。
しかし、宗教改革者たちはこの点に関して私たちに何の心配もいらないと教えました。なぜなら、このイエスの言葉はペトロと言う歴史上に現れた一人の人物を特別に重視しているのではなく、ペトロが語った「あなたはメシア、生ける神の子です」と言う信仰告白が大切であることを教えていると考えることができるからです。つまり、真の教会はこの「あなたはメシア、生ける神の子です」と信仰を告白する者たちが集まるところに存在するのです。だから、私たちはカトリック教会に属していなくても、ペトロと同じような告白をすることで真のキリストの教会の一員とされています。そしてこの正しい信仰告白によって集められた者たちの教会に天国の鍵は与えられていると言うのです。ですから私たちが自分の信仰を公に告白することはとても大切な意味があると言えるのです。
②福音宣教が神の国の門を開く
ここで語られている「天国の鍵」についてですが、ユダヤ人向けに書かれたこのマタイによる福音書は「神」と言う言葉を使うのを極力避ける傾向があります。ですからこの言葉に替えてその神がおられると考えられる場所である「天」と言う言葉を代わりに用いることがあるのです。ですからこの場合も同じように「天国」とは「神の国」と呼ぶことができます。そして、神の国とは私たちが私たちの命の源である神と共に生きることができる場所、その神の命によって永遠に生きることができる世界を語っています。ですから聖書は私たちがこの神の国に生きることができるために、救い主イエスがこの世に遣わされ、私たちと神との関係を正しいものにすることで、私たちを神の国の住人にしてくださったと教えているのです。
このことを考えるときに分かって来るのは、天国の鍵とはイエス・キリスト御自身であり、またそのイエス・キリストの救いを示す聖書が教え、つまり福音であること分かるのです。教会が天国の鍵を持っているというのは、この福音を通して人々をイエス・キリストへと導く働きをする場所だからです。
このような意味で、私たちの教会の使命は私たちの唯一の救い主であるイエス・キリストをこの世の人々に示すことで、天国の鍵を開け、そこに多くの人々を導くことにあることが分かります。
「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」。
このイエスの言葉は教会で「あなたはメシア、生ける神の子です」と信仰を告白した私たちすべての者に与えられているものであると言えます。私たちはそれぞれ、私たちに神から与えられた信仰告白を大切にし、その内容を人々に伝えることで、天国の鍵を使ってその門を大きく開くことを神から求められていることを、もう一度覚えたいと思います。
聖書を読んで考えて見ましょう
1.イエスがフィリポ・カイザリア地方に行ったとき、弟子たちに何をお尋ねになりました。弟子たちはその質問に何と答えましたか。この弟子たちの答えから当時の人々がイエスについてどのように考えていたことが分かりますか(13~14節)。
2.次にイエスは弟子たちに何と語りましたか。このイエスの言葉に弟子たちを代表してシモン・ペトロはどう答えましたか(15~16節)。
3.このペトロの答えが正しかったことをイエスの言葉どのように表現していますか(17節)。
4.イエスはどこに陰府の力も対抗できない教会を建てると言われましたか(18節)。またその教会に対して何を授けると言われましたか(19節)。
5.この言葉を宗教改革者はカトリック教会が教えるペトロの後継者(使徒継承)ではなく、ペトロの何が大切であり、その上に真の教会が建てられると教えましたか。